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不幸自慢は、なぜしてしまう?その理由、心理とは?
人間生きていれば、不幸に思う事にも遭遇してしまいます。
そんな不幸をまるで誇ったかのように、自慢しているかのように話し出す人。
こういう人は、なぜ不幸自慢をしてしまうのでしょうか?
これは、不幸自慢をする人に「注目されたい」という心理があります。
不幸話を聞いた人の多くは、その不遇に同情をするでしょう。
そして、不幸をきっかけとして関心を得て、深い仲を手に入れたいという願望もあります。
また、こんな不幸があっても、今こうやってやってこれているという、
不幸を乗り越えて人間として優れている。
「できる人」と思われたいという心理もあります。
不幸話は、悪い面ばかりでなく、
誰かが落ち込んでいる時に、自身の不幸話をすることにより、
勇気づける、励ますという目的もあります。
総合的に、不幸自慢をする人は、寂しがり屋とも言えるでしょう。
誰もが経験ある?他人の不幸は蜜の味、その理由、意味とは?
「他人の不幸は蜜の味」
なんとも感じの悪いことわざですが、他にもいろいろあって、
似たものに「隣の家の貧乏は鴨の味」などがあり、
世界中で似た感情を表す言葉が残っています。
(ドイツの「シャーデンフロイデ」や中国の「幸災楽禍」など)
こういう心理は、なぜ生まれるかというと、
自分自身の総合的順位が上がったと感じ、有利さを感じているためと言われています。
誰かの不幸を知ることにより、
「自分は、まだ大丈夫」「あの人より、マシ」という安心感が生まれ、心に余裕ができる。
それを、蜜や鴨に例えたのがこのことわざなのです。
他人の不幸を笑ってはいけない。
これは、後からのついてきた価値観でなんとも嫌な感じがしますが、
他人の不幸は蜜の味というのは、生き残ろうとする人間の本能という事でもあります。
ちなみに今風の言い方だと「メシウマ」(他人の不幸で今日も飯がうまい)
というものがあります。
不幸が続いてしまう原因?幸せになるためには?
不幸な事がない人は、いないと思います
しかし、次々と不幸が続いて、いつまでも幸せになれないという人もいるでしょう。
原因として、
- 緊張状態が続いている
- 自分に厳しい
- 他人に厳しい
- 嫌な体験を忘れることができない
- 理想が高すぎる
これらが挙げられます。
これらに共通するのは、「固結している」という事です。
不幸にこだわって、むしろ不幸でいる方がメリットがあると思ったりもします。
しかし、そこから脱却した方が良いという場合が多く、
長期的に他の人の手を借りなければならないケースも少なくありません。
変わりたいという覚悟、幸せになりたいという気持ち。
これを持つことが、不幸を引き寄せず幸せになることができる第一歩でしょう。
自慢・・・一体、どんな不幸が一番不幸なのでしょうか・・・?
他人の不幸は蜜の味・・・本能だからと言って、それを隠そうともせず、公に晒すのは、ただの下品だと思いますね。
原因・・・不幸を手放す覚悟、許すという余裕。
これらを手にすることが、不幸の原因を解消する第一歩です。
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